弘田三枝子
弘田三枝子

生年月日2月5日
出身地東京都世田谷区

1961年11月に東芝レコード(現:EMIミュージック・ジャパン)から「子供ぢゃないの」でデビュー。「悲しき片想い」「ヴァケーション」「渚のデイト」などカバーポップスでヒット曲を連発。

1962年第13回NHK紅白歌合戦に初出場し、以後22回まで出場。

1964年12月日本コロムビアへ移籍。第一弾の「はじめての恋人/砂に消えた涙」が大ヒット。「ナポリは恋人」「夢みるシャンソン人形」などカバー路線で引き続き大ヒット。

1965年7月には日本人歌手としてはじめて、10代の若さで「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演。同年12月にはアニメ『ジャングル大帝』 のテーマ曲「レオのうた」を発売するなど多彩なジャンルでの活躍も評判となる。

1966年1月、ニューヨークレコーディングされたアルバム「ニューヨークのミコ」をリリース。

1967年7月には新進気鋭の橋本淳-筒美京平コンビを起用した「渚のうわさ」を発売、後のゴールデンコンビ初のヒット曲。
翌68年には、アメリカ~ヨーロッパへの音楽旅行から帰国後に行われたライヴを録音した「ミコR&Bを歌う」をリリース、日本の音楽界でいち早くR&Bに取り組む。

1969年7月リリースの「人形の家」が大ヒット、日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。「ミコのカロリーブック」は150万部の大ベストセラーなりダイエットブームの先駆者となる。続いて「私が死んだら」「ロダンの肖像」「バラの革命」などがヒット。その後しばらくは歌謡界を中心に活動、次第にジャズやポッ プス方面にシフトし「JAZZ TIME」「My Funny Valentine」「IN MY FEELING」などジャズヴォーカルアルバムを発売。
弘田の歌唱力には定評があり、彼女のヴォーカルに感動したエラ・フィッツジェラルドから「私の養女にしたい」と言われたというエピソードも残っている。また桑田佳祐が弘田のファンであることも有名で、1983年発売されたサザンのアルバム『綺麗』には、弘田をテーマにした「MICO」という作品が収録されている。 他にも大瀧詠一、山下達郎、竹内まりや、スピッツの草野正宗らミュージシャンからもリスペクトされていて、1999年にはピチカート・ファイヴの小西康陽プロデュースによる弘田のアルバム『TOKYO 27:00』(TRIAD/COLUMBIA)を発売し話題。

2006年『恋のクンビア21』発売。2011年デビュー50周年記念『弘田三枝子ゴールデンベスト』発売。

現在もコンサート、ディナーショー、ライブを中心に精力的に活動。

【代表曲】「人形の家」「ヴァケーション」「子供ぢゃないの」「悲しき片想い」「渚のデイト」他

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