合田道人

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【み】三沢あけみ (2003年2月号より)

 今年でデビュー40周年を迎えるが、今なお輝き充ちて、40年も歌ってきた……、そんなイメージが全くない人である。変わらぬ甘ったるい独特な歌声に、変わらぬ可愛らしさ。当然、熟女の年齢にさしかかっているはずなのだが、いやいや、まだ少女の面影を宿しているのだから立派である。

 三沢あけみ。本名・宮下登志子が、両親の疎開先である長野県伊那市で誕生したのは、昭和20(1945)年6月2日のことだった。同年の生まれには、三沢のデビューより1年先輩で、三沢と同じようにマヒナ・スターズと一緒に歌った吉永小百合がおり、後輩に水前寺清子、青江三奈、佐良直美、尾崎紀世彦らがいる。

 小学生の頃から芸能界を夢見ていた"あけみ少女"は、学校でも目立った存在で、学芸会の花形スターとして、もてはやされていた。

 14歳で東映のニューフェイスに合格。テレビ映画の「笛吹童子」で早々に芸能界デビューを果たした。

 ちょうどマヒナ・スターズが松尾和子を引き連れて人気を上げた頃である。夜のムード「誰よりも君を愛す」で、翌35(60)年にはレコード大賞。さらにマヒナは翌年、「星の流れに」の菊池章子の妹である多摩幸子を従えて、「北上夜曲」を大ヒットさせて、さらに翌年、吉永小百合で「寒い朝」と、人気歌手を育て上げる。"新人歌手はマヒナと一緒にすれば必ず売れる"といわれたものだ。そんな中で4年目、4人目の新人として白羽の矢が立ったのが三沢だった。期待と"どうせマヒナと一緒だから売れる"という業界の噂の中、デビュー曲「ふられ上手にほれ上手」は、昭和38(63)年2月の発売された。

 期待どおり順調にヒットし出した。それが発売してすぐに、"若い女の子が歌うには色っぽすぎる歌詩だ"と、放送禁止の発売禁止。今度は口さがない評論家たちが"やっぱり4人目のスターはない"と無責任に言い出す始末。

 急遽、4月に発売したのが、彼女の出世作「島のブルース」だったのである。

 ちょうど奄美大島が日本に返還されて10年目。この年は、歌の世界も奄美大島ブームで「島育ち」「永良部百合の花」「奄美恋しや」「奄美の織姫」などのヒットが続き、新鮮な三沢が大島つむぎに、髪から紐をたらした奄美スタイルで登場するや大ヒットしたのである。挙句にその年のレコード大賞新人賞、「紅白歌合戦」にも選出されて、"4人目のスター"みごと育つ。

 当時の新人賞は、男女各1名ずつだった。前年は同ケースでデビュー曲が発売禁止となり、急遽「なみだ船」を出した北島三郎と、畠山みどりと最後まで争った倍賞千恵子で決定したが、この年は男性・舟木一夫、女性・三沢の独走態勢。"マヒナと一緒なのに新人賞でいいのか?"というクレームはつかなかった。ちなみに翌年の女性新人賞は、パラダイスキングの九重佑三子が、都はるみに僅差で負けたが、次の年は水前寺清子を押えて、マヒナ5人目のスター、田代美代子が♪愛しちゃったのよ……で、2票差で競り勝っている。

 最初のつまずきはあったものの、結局、三沢はスター街道をひた走る。「島灯り」「島の子守唄」「島椿」といった奄美ものや、「明日はお立ちか」「涙の渡り鳥」など戦前の先輩の作品を新しい息吹きを加えてリバイバル・ヒットさせた。2年目の「紅白」は次点でもれたものの、翌年には「アリューシャン小唄」を大ヒットさせて紅組のトップ・バッターとして返り咲き。"若手の「紅白」カムバックはない"のジンクスを叩きやぶり、昭和43(68)年まで通算5回出場した。しかし翌年、遠藤実が設立したミノルフォンレコードに移籍、さらに代議士夫人におさまることで一線を退いてしまった。幸せな家庭生活を選んだのである。

 そんな彼女が、10年ぶりにテレビのブラウン管に舞い戻ってきたのは、昭和54(79年)だった。理由は離婚。それを機に本格的に歌の世界にカムバックしたのである。その第1作が、ぴったりと(?)「わかれ酒」。これが当時流行中の「夢追い酒」「おもいで酒」「ふたり酒」など"酒演歌"のブームにのり大ヒット。同時に長谷川一夫と初競演で舞台をつとめたり、20年ぶりにテレビドラマのレギュラーで出演したりと、幅広い活動が続いた。

 やってきたカラオケ・ブームにのり"三沢あけみ演歌熟"を全国で開催したり、今までとはガラリとイメージを変えたムーディーな「恋しくて」、和服に靴を履くという和洋折衷スタイルで「渡り鳥」など続々とヒット作を生み続け、みごと第一線に甦ったのである。

 そして平成14(2002)年、歌手デビュー40周年。「島のブルース」の歌碑が、奄美大島に建立され、「島のブルース」や再起第1作目「わかれ酒」を作曲した故人・渡久地政信が生前作っていたという「つむぎ恋唄」をレコーディング。すこぶる好評である。年齢とともに増す可愛らしさは、まだまだ今後の活躍に期待がかかる、そんな稀に見る大ベテランでもあるのだ。