合田道人

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【み】三島敏夫 (2003年3月号)

 ハワイアンからムード歌謡、演歌、日本調に到るまで、実に幅広いジャンルでヒット曲を重ね、一線を維持している貴重な歌手こそ三島敏夫だ。

 戦後、ハワイアンブームが起こった。敵国アメリカのそれも真珠湾攻撃の地、ハワイは日本人にとって忘れがたい場所である。しかし、戦争に負けたことにより、その地に向ける日本人の目は苦しまぎれながらも、憧れの場所へと変貌していった。昭和23〈1948〉年、オカッパルこと岡晴夫の「憧れのハワイ航路」が発売される。植民地歌謡とも呼ばれながらも、日本人の心を大いに和ませた。いや、それは憧れというよりは、まるで敵地を視察するかのような複雑な感覚があったのかもしれない。時同じくして、にわかにハワイアンのブームが訪れるのである。

 サイパン島の生まれ、特攻隊として兵隊の経験も持つ三島が、寺部頼幸とココナツ・アイランダースに加入した年でもある。植民地歌謡は、だんだんと若者たちによって、ほんとうに憧憬の国の歌に変わりつつあった。「南国の夜」「アロハオエ」、学生たちもウクレレ片手にハワイアンのバンドを同好会で作るほどのブームの中、三島は当代ナンバーワンのハワイアン・バンド、バッキー白片とアロハ・ハワイアンズにスカウトされる。

 さらに30年代に入って、ハワイアンから歌謡コーラスというジャンルを築くようになる和田弘とマヒナ・スターズに参加、吉田正の名曲「好きだった」「東京の人」などをレコーディングしている。和田が歌謡曲に明るくなかったため、代わりに歌謡曲の選曲も三島が一手に引き受けていたのである。

 三島は、当時をこう語る。「実際、ヒットはしたんですが、経済的には苦しかったですね。まあ、所詮それは他人の曲をマヒナ風にアレンジしただけのことですから。やはり「好きだった」は鶴田さん(浩二)の歌なのだし、「東京の人」は三浦さん(洸一)の歌ですから。そんなこんなで、マヒナから再びアロハ・ハワイアンズに戻らせてもらいました。バッキーさんというのは、やはり私にとって神様のような存在でしたからね」。そして、あのヒット曲が生まれるのである。「当時はジャズ喫茶全盛で、アロハ・ハワイアンズもよく出ていたんです。渋谷のある店に出たとき、たまたま可愛い女の子の客が入ってきた。ボソッとベースの石巻に"石ヤン、俺、あんな娘に弱いんだ"と口走ってしまったんですよ。それがあの歌になってしまいました」。

 あの歌、後に石原裕次郎も歌って大ヒットした「俺はお前に弱いんだ」。もちろん三島の歌声が、はじめてのレコードである。裕次郎がこの歌のほかにも、ハワイアンを数々レコーディングしているのは、ある意味でこの手の歌の裕次郎の師匠が、三島だったためなのである。

 昭和38(63)年、三島はとうとう独立し、三島敏夫とそのグループとして、ハワイアンはもとより、ムード歌謡から軍歌まで数々レコーディングするかたわら、翌年にはソロで「面影」を吹き込んだ。これがまた大ホームラン、「歌謡ベストテン」の第1位を長く維持した。

 その年のレコード大賞歌唱賞は、最後の最後まで岸洋子の「夜明けのうた」と競い、"シャンソン出身の岸か、それともハワイアン出身の三島か……"と、噂された。結局、レコード大賞が三島と同じコロムビア所属の青山和子「愛と死をみつめて」に決定したため、「大賞も歌唱賞も同じ会社では……」と議論され涙は呑んだものの、巷の話題をさらったものである。さらに翌年には、各社競作で話題となった「松の木小唄」を三島自身が採譜して、これまた大受け。ハワイアンからムード歌謡、軍歌から日本調まで何でもござれの達人として、歌謡界における独自なスタイルを作っていったのだ。

 彼のステージ内容は、まさにてんこ盛りメニューである。「南国の夜」を歌ったと思ったら、「松の木小唄」で手拍子が沸き、「浅草しぐれ」を粋に歌いこなす。「面影」で客をうっとりさせたかと思ったら、「人妻椿」「ダンチョネ節」で涙させる。それなのにどれもこれもが、みんな三島敏夫の歌になっている。どれを聞いても違和感がない自然な流れを描いているのだ。まさにこれは、驚嘆に値する。確かに彼の成功の影には、どんな歌でも"三島色"に染め抜く声がある。甘いマスクも武器であろう。だが、それに加えて、マネージャーである控えめでありながら、艶っぽい奥方のひとかたならぬ緻密な宣伝効果にあったと、当時から業界では囁かれていた。今なお彼のステージの横には、奥さんのしっかりとした目が光っている。

 それゆえだろうか? 三島敏夫という歌手には、"なつメロ"というにおいが全くない。それは各ジャンルの一人者であることはもちろん、いつも前向きに進んでいる夫婦の絆ゆえに、なし得る術か? 以前出した「もういちど小樽」が、最近またカラオケで歌われるようになっている。「もういいかな? なんて思っているんですけどねぇ」。そう言いながら、夫婦そろってはにかんだ。

おもなヒット曲一覧

  • 好きだった(昭和32年)
  • 俺はお前に弱いんだ(昭和34年)
  • 面影(昭和39年)
  • 松の木小唄(昭和40年)
  • サッチョン小唄(昭和40年)
  • ブン屋小唄(昭和41年)
  • 南国の夜(昭和41年)
  • バリバリの浜辺(昭和41年)
  • アロハオエ(昭和41年)
  • 小さな竹の橋で(昭和41年)
  • 人妻椿(昭和41年)
  • 富士エレジー(昭和43年)
  • 湯の町エレジー(昭和43年)
  • 女って可愛いね(昭和43年)
  • 錦糸町ブルース(昭和44年)
  • ダンチョネ節(昭和45年)
  • 蒙彊(もうきょう)ぶし(昭和45年)
  • 軍隊小唄(昭和45年)
  • 愛のふれあい(昭和49年)
  • 浅草しぐれ(昭和58年)
  • つれあい(昭和60年)
  • もういちど小樽(平成 5年)