合田道人

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【み】三船和子 (2004年1月号)

 奥様族の代表歌手、夫婦(めおと)演歌の第一人者としてカラオケヒットを生み続ける三船和子は、昭和22(1947)年9月1日、愛知県一宮市に生まれる。幼いときから、美空ひばりや島倉千代子の歌を憶え、昭和40(1965)年、18歳で作曲家、遠藤実が興した新しいレコード会社、ミノルフォンレコード(後・徳間音工、現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)の第1号歌手として迎え入れられ、「ベトナムの赤い月」でデビューを飾った。

 前年コロムビアレコードから別れたクラウンレコードには、小林旭、五月みどり、北島三郎などコロムビアの人気歌手がこぞって移籍、新人の西郷輝彦、水前寺清子、山田太郎など続々とスターも誕生したが、いくらヒット曲が多数ある人気作曲家であっても、レコード会社経営など甚(はなは)だしい……と、ミノルフォンに人気歌手はひとりも移籍しなかった。それどころか「作家なのだから、歌をかいていりゃいいんだ」やら「遠藤の会社などつぶしてしまえ」などなど。当然それまで美空ひばりや島倉千代子、こまどり姉妹などのヒット作を出したコロムビアからも作品依頼が極端に減った。「いい作品は自分の会社に吹き込むだろうから……」。嫌がらせではなく、ごくごく自然な流れだった。

 結局、遠藤は前途多難な中で、海の者とも山の者ともつかない若い弟子たちだけで船出するしかなかったのである。そのひとりが三船和子であり、そのひとりが千昌夫だった。しかしネイム・バリウムがない新人たちにおいそれとヒットは生まれない。売れるはずがないミノルフォンの新人歌手に詩を書くヒット作家もいなかった。当然経営不振。

 「もう死ななければいけないかもしれない」遠藤は、そう思った。こんなにも歌が好きなのに、新時代の歌を発表し新しい歌謡界のスターを翔かせたいのに、ただただ引き離されて行く……。遠藤は悲しく悶々とした心の叫びをひとつの詩に託す。作詩家にすら見離され、自分で詩を書くしかなかったのである。

 ♪別れてくれと 云う前に 死ねよと云って ほしかった……、

 あなたを愛しているものを 引離す 引離す……。自然と一緒に曲もできた。わきあがるように「他人船」が生まれる。昭和40年暮れのことだった。翌年になってじわじわとヒット。三船和子の初ヒット曲は、そのままミノルフォンレコードの初ヒット曲でもあった。これを機に山本リンダ「こまっちゃうナ」、千昌夫「星影のワルツ」、津山洋子&大木英夫「新宿そだち」とミノルフォン社はヒット曲の宝庫と化す。三船も「他人船」に続き「身内船」、そして名作「女のさだめ」と出会う。前評判も上々、「他人船」を越すヒット曲になると噂されたものの発売後すぐに自動車事故に遭遇、入院生活を余儀なくされる。それどころか、その後遺症で声が全く出なくなってしまったのである。未練を残しながらの歌手引退。翌年、ミノルフォンの歌手で「男鳥」などで売った辰巳晴也と結婚、実家の建設会社を手伝いながら、3人の子供を生み育てる。

 ある意味、幸せな賢明な人生の選択だったのかもしれない。しかし、そこで奇跡が起こった。子供たちを叱りつけている内に声が出るようになったのだ。引退、結婚してから13年の月日が流れていた。「他人船」「女のさだめ」は小野由紀子によって歌い継がれ、歌の命は色褪せていなかった。

 だんな様、子供たちの理解の元、三船和子がふたたび歌謡界に舞い戻ってきた。昭和57(1982)年、その歌、♪私の大事な「だんな様」……。交通事故、歌手にとって致命的な失声、そして結婚。「だんな様」の理解によって果たされたカムバック。ワイドショーがまず飛びついた。そしてそのワイドショー効果で、主婦層が自分たちの代表選手のような気持ちで彼女を応援した。それからあとは夫婦演歌の第一人者として活躍しているのは周知のとおり。そしてそこには、いつも事務所の社長として彼女を見つめ続ける「だんな様」のやさしくも厳しいまなざしがあった。

 「だんな様」で復帰して、さらに13年の月日が流れた平成7(1995)年大晦日。"21世紀に伝えたい歌"、カラオケの長年の定番曲として、とうとう「紅白歌合戦」の出場権を得る。「まさか、今になって夢だった『紅白』に出場できるとは……」。その晴れがましい姿と笑顔、独特の歌声は至難を越えた勝利者のように輝いていた。「だんな様」と二人三脚で勝ち得た栄冠だった。

 早いうちに結婚したため、すでに娘も嫁ぎ、実はもうおばあちゃん。なんとも若いおばあちゃんだ。

 彼女の歌には生活のにおいがある。夫婦の歌を歌うときに嘘がない。同年代でまだ未婚のまま歌い続けている歌手たくさんいるが、彼女は不運な交通事故のため、普通人と同じ道を歩まなければならなかった。だが彼女にはそれがほんとうは、幸せだったのかもしれない。夫婦演歌を心で奏でる年齢になるまで、歌手としての苦労ではなく家庭人としての苦労をしてきた。しかしそれはごく普通のことだ。お母さんたちは、誰でもやってきた苦労なのだ。彼女の歌に嘘がない、彼女の歌に生活のにおいを感じるほんとうの理由はそこにあるのだ。