合田道人

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【み】美空ひばり (2003年5月号)

 日本人の中で唯一、『広辞苑』に名の載っている歌手である。今更とやかくこの人の話しを書き並べて、わざわざ"名歌手"として取り上げることに正直、抵抗はある。だからと言ってこの中から到底外すこともできやしない。名歌手の枠を越えた名歌手。だから、歴史上に残る日本一の"名歌手"としてここで紹介したい。

 その歌手としての名声は、数え切れないヒット曲の数で証明できる。名女優としての活躍もしかり。主演映画、ヒット映画も枚挙にいとまがない。

 美空ひばり。本名・加藤和枝は昭和12(1937)年5月29日、横浜磯子区の魚屋の長女として生まれた。ひばりが"歌謡界の女王"として長きに渡り、大衆の心をとらえ続けられたのは、庶民的な味わいのある気楽な商店街、それも魚屋の娘だったことに大きな要因があった。同時に物覚えの非常にいい女の子だった。3歳で小倉百人一首、92枚を暗記し、「大利根月夜」「軍国の母」など当時のヒットソングをレコードを聞いては憶えて歌っていた。6歳のとき、父が戦争にとられた。出征の壮行会では、「九段の母」を感情たっぷり歌い、人々の涙を誘ったというのである。

 戦後の焼け野原でひばりは、楽団を持って歌手として出発する。そう、いろいろな本に書かれているが、これは彼女や母親が彼女に夢をかける、一種の趣味の延長で楽団といっても近所の楽器好きが集まり、アテネ劇場といっても小さな映画館、つまり近所の人が集まってくれて見てくれたというだけのことだ。しかし、これを見ていたほかの小劇場から声がかかり、そのうち日本調のスター、音丸の地方公演の前座の声もかかった。やはり天才は違った。そのうちに大劇場からも出演の交渉が続く。まだオリジナル作品があるわけではないのだ。 大流行中の笠置シヅ子のブギウギを歌う怪少女は、大人のスター歌手を完全に食う。当時、笠置は"ブギの女王"であり、それはそのまま"歌謡界の女王"に匹敵していた。そんな大スターが、デビュー前の少女に向かって「今後、ステージではブギを歌ってはいけない」と、申しつける。

 今では考えられないことだ。いや、それほどまで彼女は怖い存在だったのだ。NHK「のど自慢」に出たときは、"対象外"と鐘は鳴らない。"キンコンカンコン キンコンカンコン……"と鳴らないのではない。ひとつも鳴らなかった。『大人の歌を子供が歌うのは問題外』と思われたためである。そろそろレコードデビューをと思ったが、同じような理由で各社とも採用見送り。しかし笠置の在籍するコロムビアが最終的に採用を決めた。昭和24(49)年、「河童ブギウギ」でデビュー。しかし、この歌は売れなかった。

 作家陣が『彼女を笠置2号にしてはいけない。あの子供が歌う大人の歌を歌わせよう』。そしてできたのが「悲しき口笛」。大人のイメージがただようブルース歌謡。当時でいったら淡谷のり子や二葉あき子が歌うような本格的な歌が彼女の人生を変えた。人気は異常だった。同時に同名の映画にも主演。こちらも当たった。ここからのひばりは、出す歌出す歌がことごとく大ヒット。映画に地方公演、雑誌の取材。日本一多忙な少女は、デビューから5年の、昭和20年代だけで「越後獅子の唄」「あの丘越えて」「私は街の子」「リンゴ追分」、そして「紅白歌合戦」初出場曲「ひばりのマドロスさん」などなど代表作を生み出す。「紅白」出場は第5回からだが、それは年齢が低かったことより、正月公演などスケジュールの都合がつかなかったため。2回目の出場の年から、紅組のトリを文句なくつとめ、30年代には「港町十三番地」はじめマドロスもの、「哀愁波止場」で歌唱賞、「ひばりの佐渡情話」「柔」。40年代に入って「悲しい酒」「真赤な太陽」とあらゆるジャンルでヒット曲続発。亡くなった年、平成元年、最後のシングル「川の流れのように」まで"歌謡界の女王"の名に恥じない、ほんとうの意味での"生涯現役"を貫いた。「悲しき口笛」の初ヒットから実に40年間、毎年毎年、次代に歌い継がれるヒット曲を世に送り込み 病床に伏せた、きっと復活してくれるだろうという周囲の期待をばっさり裏切って、現役のままひばりは空高くさえずりながら翔んでいったのである。

 亡くなって"国民栄誉賞"が授けられたが、これとてすごいことというより、言い換えれば至極当然。

 "あんな歌手はもう2度と出て来ない"。人々はそう言う。しかし、実はそんなうすっぺらな言葉だけで、彼女を語ることなどできない。言葉なんかでは、表現できない歌手、いや人物こそが美空ひばりなのである。 よく"ひばりさんのようになりたい"……、と後輩の歌手たちが口を揃えてそんな抱負を述べるが、それは実際無理なことなのだ。どうして? それは、あえて言葉で彼女を表現しようとするなら、"きっとあの人は、人の形をした別の生き物だったから"とでもなるのだろうか?