合田道人

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「いい日旅立ち」(2004年1月第18号より)

 昨年はちょっとした百恵ブームだった。アイドル時代の歌声を集めたCDが飛ぶように売れたのだ。山口百恵が歌手を引退、家庭の人におさまったのは昭和55(1980)年のことだった。それ以来、山口百恵は「紅白歌合戦」はもちろん、ブラウン管に姿を見せていない。

 昭和48(73)年、新人歌手オーディションの人気番組「スター誕生」を経て、14歳で「としごろ」でデビューしたが期待を裏切ってそれほどのヒット曲にはならなかった。2作目「青い果実」から注目され、暮れの新人賞レースには参加したが、レコード大賞の新人賞5人には届かずじまい。翌年の「ひと夏の経験」で大ブレイク、「紅白」にもトップ・バッターで初出場する。引退するまでのたった6年の間に数々のヒット曲を放っていったのである。

 しかし「紅白」に選定される曲は毎年一曲のみ。昨年の「紅白」ではこの作品を作詞作曲した谷村新司が、新しい歌詞をはめ込み、「いい日旅立ち~西へ」として歌っていたが、百恵はなんとこの「いい日旅立ち」を「紅白」で歌っていなかったのである。

 百恵の「いい日旅立ち」が発売されたのは昭和53(78)年。この年、百恵は19歳で「紅白」のトリをはじめてつとめている。♪馬鹿にしないでよ そっちのせいよ…「プレイバックPart2」を歌った。確かにこの歌、大ヒットし、50万枚以上のセールスをあげていたが、トリを歌うなら「いい日旅立ち」の方がより適している気がする。しかし、この歌の発売日に問題があった。11月21日発売だったのだ。年末にはトップ・ヒットに育っていたもののこの年の賞レースも「プレイバック~」で参加していた。レコード大賞は前年10月21日以降、10月20日まで発売した歌が対象となる。つまりこの歌は、必然的に次の年の「紅白」で歌われるはずだった。だが、当時アイドルは3ヶ月に一回新曲を発売するのが常だった。新しいヒット曲が続々生まれていったのである。さらに9月に発売した「しなやかに歌って」が賞レースの参加曲になっていたし、この「しなやか~」には副題として~80年代に向かって~と銘打たれていた。時節もちょうどぴったりだったのである。そのため「いい日旅立ち」は見送られてしまったわけだ。翌年も百恵は結婚、引退、この名曲は「紅白」で披露されることはなかった。