合田道人

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「ひまわり娘」(2004年8月第25号より)

 6月に行われた30周年記念リサイタルが満員御礼で9月5日、東京新宿文化センターで追加公演が行われる伊藤咲子。ひまわりみたいな明るさと笑顔、アイドル離れしたその歌唱力で人気をあげた愛称"サッコ"。13歳のある日、ひとつのテレビ番組、ひとつのシーンを見て、少女は衝撃をおぼえた。

 「同い年齢の、それも素人の女の子がこんなに堂々と歌を歌っている。あゝ私も歌手になりたい。・・・」沸々と闘志がわいた。夢が広がった。その番組「スター誕生」、そしてサッコに「あゝ私も歌手になりたい。・・・」と思わせた同い年齢の少女、森昌子。同じテレビを見ていた桜田淳子、山口百恵もサッコと同じ気持ちで「スタ誕」を受け、歌手になった。そしてサッコもまたオーディションを受けにゆく。彼女は栄冠をつかみ、「ひまわり娘」になった。昭和49年4月20日、サッコ16歳を迎えたばかり・・・。

 日本を代表するオペラのプリマ・ドンナ、「蝶々夫人」の砂原美智子を大叔母に持ち、父や姉もまたクラシックの世界を歩んだ。彼女の確かな歌唱力は、そこに源があるからだ。「デビューのとき砂原咲子という芸名にすることになってたんです。でもね、本名の伊藤咲子の名でオーディションの難関を突破したんだから、こんないい名前はないという話になり、本名のままデビューしました。」

 当時「愛情の花咲く樹」というヒット曲があった。歌ったのはシュキ&アビバ。そのイスラエル人のシュキ&レヴィに作曲を依頼、当時のアイドルとしては異例のロンドンでのレコーディングという鳴り物入りでデビュー。たちまち昌子、淳子、百恵の格好のライバルに成長し、各新人賞を受賞する。ただし大晦日の「日本レコード大賞」だけは、外国人の作詩作曲の作品は当時対象外になっていたため、必然的にノミネートされなかった。だが「紅白歌合戦」がある。

 ところがその頃の「紅白」はデビュー1年目の歌手を出場させることはごく稀だった。何曲かヒット曲を連発して人気が固まったところで出場が許されていたのである。現に昌子も淳子も百恵もデビューした年に出場していない。当然、サッコも落選。今でも夏になると必ずといっていいほどどこからともなく流れてくるこの名曲「ひまわり娘」は「紅白」で歌われることはなかったのである。翌年にかけて「木枯らしの二人」「乙女のワルツ」と大ヒットを積み重ね、「紅白」初出場曲は「きみ、可愛いね」。

 その後、先輩の三人娘が結婚し、それぞれの家庭の人に収まり、サッコも結婚、事実上の引退をした。

 子供がほしかった。昌子、淳子、百恵に電話すると「もう子供に手がかかりっぱなしなの・・・」と幸せそうだった。「私も母親になりたい・・・」、そう痛切に思った。ところができない。調べてみると、いつの間にか子供が生めない体に・・・。「主人に申し訳なくって。母にも孫の顔を見せられないと思うだけで切なくて。悲しい日々でしたね。病院に入院、これからどうやって生きていこうかとも思いました。」

 そんなときに、久々に歌番組から声がかかった。「ひまわり娘」へのリクエストが多く、「ぜひ歌って・・・」と。そのとき忘れていた快感を思い出す。「私はこれからもう一度歌っていけばいいのではないだろうか?」。

 昨年のNHK"夏の紅白"、「思い出のメロディー」で完全復活、仕事も再開した。「ファンの方がホームページも作ってくれ、以前のファンがこんなにも私の歌を待っててくれたことに自分がいちばん驚きました」。ヴォイストレーニングも始め、すっかりデビューのときの声が戻った。30周年リサイタルは、ヴァイオリンを中心にしたアレンジ構成で現在のサッコの成長ぶりを堪能できる。まだまだこれから期待できるベテランなのである。