合田道人

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「東京だヨおっ母さん」(2004年11月第28号より)

 今年で「紅白」が55回目を迎える。先日私は55回と来年の戦後60年をふまえ長い寿命を保つ、この番組をとらえた『紅白歌合戦の真実』(幻冬舎)を発売した。そこには「紅白」の歴史やエピソードが満載である。

 折りしも、今年は職員の不祥事などで揺れ動いたNHKだったが、少しでも国民の信用を復活させようと、「紅白歌合戦に出場してほしい歌手」の世論調査を行って、10月末に発表した。男女7歳以上の3600人が対象だが、年齢を超え、ジャンルを超えたなかなか興味深い結果がでた。

 男性1位の氷川きよし、女性1位の天童よしみだったが、紅組の14位に今年50周年を迎えた島倉千代子の名が堂々と入っているのがたのもしい。出場すれば8年ぶり35回目の登場となる。島倉出場を待望する声がまだまだ多いという証拠でもある。つまり「紅白」イコール島倉という図式が、ある年齢層以上の国民に符合しているともいえよう。

 しかし島倉は史上初の30回連続出場を遂げた翌年に「今までは急行列車に乗って「紅白」のために歌ってきました。今後は鈍行列車でゆっくりと自分を見つめて行きたいのです」と事実上の卒業宣言を唱えた人である。翌年になって「人生いろいろ」が大ヒットしてしまい、カムバック。やはり「紅白」には欠かせない第一人者だ。

 昭和30('55)年、「この世の花」でデビュー、古賀メロディーの「りんどう峠」も大ヒットさせたが、この年彼女は「紅白」に選ばれていない。実はひばりに人気が急追した翌年も出場していないのだ。それどころかこの2年間は宿敵、美空ひばりも出場していない。

 この部分の謎は『紅白の真実』に詳しく書いたが、実は『紅白』の裏番組にふたりは出場しているのである。ふたりが「紅白」の一員になるのは、昭和32('57)年の第8回の「紅白」から。20歳のひばりは、いきなりトリ。島倉は「逢いたいなァあの人に」で初出場。人気歌手勢ぞろいのこの回が後々「国民的行事」とよばれる礎を築くことになる。

 島倉はひばり最後の出場の昭和47('72)年ごろから「紅白」で"なつメロ"を歌うことが多くなった。デビュー曲の「この世の花」も「りんどう峠」も歌った。初出場の思い出を込めて「逢いたいなァ~」もその後2回、「からたち日記」も2回歌った。しかし実は「紅白」で未だかつて歌われていない彼女の代表作がある。「東京だョおっ母さん」である。

 東京が憧れの時代、昭和32('57)年3月にこの歌は発売された。島倉「紅白」初出場の年の歌である。

 ♪久しぶりに手をひいて……母親への愛情を東京見物という形で表現している。

 一番では皇居を訪ね、二番では戦死した兄を思いながら靖国神社を詣でる。そして三番では浅草の観音様に願をかける親孝行スタイルが、島倉の純情可憐、やさしいイメージとあいまって、記録的な大ヒット、東宝でも映画化されて島倉は主演している。

 実はこれが「紅白」で歌えなかった理由だったとされる。NHKでは映画主題歌やCM的な歌を歌わせることを極力避けた。同じこの年から出場したフランク永井の「有楽町で逢いましょう」もデパートのコマーシャルソングだったため、歌ったのは17回目の出場、昭和48('73)年になってからだった。ではなぜフランク同様、"なつメロ"として、その後選ばれなかったのか?

 今度は2番の歌詩に問題があった。靖国神社参拝が議論されているが、中国や韓国との国交復活も実現、問題視される参拝を歌ったこの歌をわざわざ選ばなくなってしまったからである。

 しかし来年は戦後60年である。戦争が愚かなものだと思いながら、あの時代死んでいった兵士はいなかったはずだ。誰もが国を信じ、自らが国を守ろうという気概で靖国に祀られていったはずなのだ。今の平和を作ってくれたこの歌を捧げながら、二度とふたたび戦争が起こらないように祈りたいものである。