合田道人

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「お別れ公衆電話」(2004年12月第29号より)

 先日発売した『怪物番組 紅白歌合戦の真実』(幻冬舎)がおかげさまで売り上げをのばしている。こんなにも「紅白歌合戦」という番組を楽しみにしている人がいるのだな……と改めて思う。

 タイトルがタイトルだけに暴露本?とも取れそうだが、実際は全く反対。「紅白」の応援本といって過言ではない。そこにはその年その年の日本の世相とそこに流れた歌を「紅白歌合戦」という国民的番組のフィルムを通しながら、出場者や司会者、当時の新聞、雑誌を引っ張り出しながら「紅白」の真実に迫る。

 たとえば「紅白」は最初、お正月番組だったが、なぜに大晦日に移ったのか?昨年(2003年)の「紅白」で平井堅が歌った「見上げてごらん夜の星を」のバックで流されていた坂本九の映像は、ずっと目を閉じたままだったが、あれは歌に酔いしれて、名曲に感動しながら目をつむっているのではなく、ほんとは「紅白」で着ることになっていた新調の衣装を楽屋で盗まれて悲しかったからだったとか、美空ひばりやピンク・レディーの落選の真相と読んでいるだけでその時代にタイムスリップできるようになっている。肩の凝らないもうひとつの歌謡戦後史を書いたつもりだ。今年の採点表も載っているから是非読んでいただきたい。

 その中で昭和32(1957)年に「未練の波止場」で初出場以来、一時代を築いた松山恵子こと"お恵ちゃん"の話も書かせてもらっている。

 お恵ちゃんは、「『紅白』にはいろんな思い出があるね。もちろんフランス人形のような衣装でも出たし、三度笠の格好したりね。」だが、松山の代表的一曲で今なおステージはもとより、カラオケ、のど自慢でも歌われるあの「お別れ公衆電話」を歌ったことがないのである。なぜだ?

 この歌の発表は、昭和34('59)年。この年は日本中を挙げて祝福ムードに包まれた一年だった。

 そうである。今上天皇、当時の皇太子さまと美智子さまがご成婚された年なのである。その結婚のパレードをみたいという理由で、この年、テレビが家庭に大きく普及する。そんなムードの中で幸せや夢をテーマにした歌がたくさん作られた。

 その年に発売されたのが「お別れ公衆電話」だった。タイトルがいけなかったのだ。ちょうどヒット中だった神戸一郎の「別れたっていいじゃないか」ともども、「お別れ公衆電話」は放送が禁じられてしまったのである。

 しかし、この歌の発売月は11月のこと。だからまだ発売したばかりで、それも放送禁止だったからこの年の「紅白」には選ばれなかっただけのことではないのか?ところが、その翌年の「紅白」でもこの大ヒット曲を歌っていなかった。

 これをお恵ちゃん本人に聞いた。

 「つまりこの歌はいつの時代にヒットしたと言うわけじゃないんよ。発売以来、ずっと歌われて、そのうちに"お恵ちゃん"のトレードマークになった珍しい歌なんよ。」

 今の"なつメロ"番組で歌われる歌には、そういったじわりじわりと売れ続け、いつの間にやら、その歌手の代表曲に育ったという事例が多い。

 「紅白」の裏番組として注目されているテレビ東京の「年忘れ にっぽんの歌」に今年も元気に出演する、歌手協会会長・青木光一の「柿の木坂の家」も大津美子の「ここに幸あり」も実は、「お別れ公衆電話」同様、どの時期に売れたという歌ではない。どちらかといえば、発売当初は全くヒットしなかった。

 しかし歌の力というものは恐ろしい。いい歌はあとからあとから人々が自然と支持し、いずれは名曲に育ってゆくのである。

 お恵ちゃんは、2004年がちょうどデビュー50周年の節目の年に当たる。大津、それに島倉千代子と同期、三人ともに同じである。今、お恵ちゃんは記念曲として新しい5000円札に描かれた女流作家、『たけくらべ』の樋口一葉を主人公にした「一葉記」を発売して話題、たのもしい限りである。