合田道人

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「バナナ・ボート」(2006年5月第46号より)

 今月私が監修解説した8枚組CD-BOXは「リズム歌謡大全集」という。終戦直後の「ブギウギ」に始まったリズム歌謡は、その後、マンボ、サンバ、ドドンパ、ツイスト、近年のランバダまで、時代とともに人々を楽しませてきた。明るく体が自然と動いてくる、外国リズムはもちろん、お手拍子日本調までを集めた。

 そんな中で昭和32(1957)年に大流行したニューリズムが、カリプソである。カリプソはもともと西インド諸島トリニダード島で生まれた、弾むような二拍子の民俗音楽である。それをハリー・ベラフォンテが1956年にアルバム「カリプソ」で紹介、アメリカではロックンロールやロカビリー以上の人気を博したのである。ダンスをする四分の一の人は、カリプソを踊るといわれたほどである。

 そのアルバム「カリプソ」の中で最も評判を受けたのが、ジャマイカ民謡の「Day-O」(デーオ)だった。それが翌年、日本に上陸。コーヒー豆を入れる袋を衣装に裸足、野性的な魅力をふりまきながら歌う18歳の新人、浜村美智子によってカヴァーされるやいなや発売1ヶ月で18万枚の売り上げを示すほどの大ヒットとなったのである。

 ♪イデデ イデデ イデデーオ……が巷に流れ、子供も大人も歌いまくり、浜村の“カリプソスタイル”が、最先端のファッションになったのである。

 当然、この年の「紅白」に浜村は出場することになった。歌う歌はもちろん「バナナ・ボート」以外にないはずだ。「紅白」の資料などでも、これを歌ったとしているものはかなりある。

 ところが実際はこの大ヒットを浜村は、「紅白」で歌っていなかったのである。なぜだ?

 浜村本人に直接聞いた話によると、「出場が決まって、歌う歌はどんなことがあっても、『バナナ~』以外は考えられないわけでしょう?! でもこの歌、ブライト・リズム・ボーイズのコーラスが入ってるでしょう。それが引っかかったんです」。

 つまり女性軍の歌なのに、男性コーラスが入るこの歌に「待った!」がかかったと言うことである。実は前年の「紅白」の際、紅組の越路吹雪の応援に三木のり平が登場した。それに対して客席から「男が紅組を応援するとは何ごとだ!」とヤジが飛んだ。さらに矛先がこの年、紅組の司会を承った宮田輝アナウンサーに向けられ、「テルテル坊主は女なのか?」と声がかかり、進行がストップしかねない状況になった。そういう事態を踏まえて、男性コーラス付きの歌を起用しなかったのである。

 このルールはその後も敷かれる。たとえばマヒナ・スターズは女性歌手と一緒にヒット曲を出すケースが多かったが、「誰よりも君を愛す」のときは、松尾和子ひとりで紅組で歌い、マヒナは別の歌で出場した。「お座敷小唄」の年は松尾和子を外してマヒナだけで歌った。「愛して愛して愛しちゃったのよ」のときも田代美代子を抜いてマヒナだけでの出場となった。

 男女混合グループが登場するのは、浜村初出場の11年後のピンキーとキラーズまで実現しなかったのである。それどころか当時はまだ、グループの歌手に出場権は与えられていなかった。ダーク・ダックスがやっと出場するのは、この翌年からである。

 こんな理由から「紅白」でこの年最大のヒット曲、「バナナ・ボート」は歌われることはなかった。

 では浜村は代わりに何を歌って出場したのか?

 次の年に大ブームになるロカビリーのエルヴィス・プレスリーの「監獄ロック」を歌ったのである。この曲はちょうど「紅白」で浜村が歌った時期に、全米のヒットチャートの第1位を記録していた。翌年になって浜村をはじめ、平尾昌章(現・昌晃)、小坂一也らがレコードとして発売、競作で日本でも大ヒットに育つ歌になるが、その口火を切って最初に日本に紹介したのは浜村だったのである。