合田道人

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「旅の夜風」「誰か故郷を想わざる」に隠れた「三百六十五夜」 霧島 昇

 霧島昇のヒット曲の数は"なつメロ"界最高と言われたものだ。映画主題歌から軍歌、古賀メロディー、服部メロディーに至るまで数多いが、"なつメロ番組"での一曲となれば、どうしても花も嵐も踏み越えて・・・「旅の夜風」か「誰か故郷を想わざる」に相場が決まっていた。

 「旅の夜風」は川口松太郎原作の人気小説『愛染かつら』が松竹で映画化された際に作られた主題歌で昭和13(1938)年発売。

 歌ったのは霧島ともう一人、コロムビアの先輩歌手、ミス・コロムビア(松原操)。そのころの通称・ミスコロといったらすごい人気だった。前年、マイナーレーベルの一つ、エジソンレコードから「僕の想い出」でデビューしていて芽が出ていなかった新人の霧島に彼女の人気を借りてデュエットを組ませ売り出したというのが本当のところ。その作戦は見事に当たり、霧島が男として名を上げ2人は"愛染コンビ"ともてはやされた。そんな二人にロマンスが生まれ翌14(39)年暮れ、めでたく結婚のはこびに。

 結婚一ヶ月前に吹き込まれ、一ヵ月後に発売されたのが「誰か故郷を想わざる」。

 この歌は当初、全く話題に上らず、戦地にいる兵士の間で流行しそれが内地に反映し国内でも大ヒットしというものだった。

 この2曲にかくれ滅多に選ばれなかった歌といえば「三百六十五夜」。

 緑の風におくれ毛がやさしくゆれた恋の夜・・・ではじまるこの曲は昭和23(48)年に生まれた古賀メロディー。

 当時、大いに売れた雑誌「ロマンス」の中に小島政二郎によって連載された人気を博した同名の小説を新東宝で映画化したときの主題歌で歌ったのも霧島夫妻。

 とくにこの歌は霧島夫妻にとって忘れられない歌になった。というのもこの曲を最後に妻・操が歌の世界から引退して家庭の人におさまったからである。

 理由は子育てがしたいからだった。実は、お手伝いさんまかせにしていたわが子が、泥水に落とした飴玉を拾って口にしたという話を聞き、このままではいけないと決意したため。

 その後も、夫・霧島は歌謡界のエースとしてヒットを重ねたが、妻・操は子育てが終わっても、再び舞台に立つことはなかった。

 霧島は昭和59(84)年4月24日に死去。その49日法要を済ませた一週間後、操も夫の後を追うように逝った。"愛染コンビ"にふさわしい最後とでも言おうか。(昭和23年発売)