合田道人

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「トンコ節」に隠れた「炭坑節」久保幸江

 昭和20年代、ひばりを凌ぐほどの人気だったのが久保幸江。日本髪にお手拍子ものの色合いはなつメロ番組にも不可欠だったが歌うとなればいつも「トンコ節」。

 これに隠れたのが、この3月に閉山した北九州は大牟田、三井三池炭鉱を歌った、あの♪月が出た出た月が出た……「炭坑節」である。この民謡、れっきとした彼女のヒット盤のひとつである。

 昭和22(1947)年、コロムビア新人歌手募集にパスした彼女の出世作は、翌23(48)年の「おこさ節」。ちょうど♪おこさでおこさで本当だね……が巷に流れていた頃、日本調の先輩、小梅やきみ栄ラによって歌われていたのが「炭坑節」だった。

 久保はそのときには、競作には加わらず大牟田の近く大川に生まれた古賀政男が「新炭坑節」を作り歌わせている。その余力でできたのが実は「トンコ節」。炭坑節をもじってリズミックに仕立てた新民謡風歌謡曲は、24(49)年に久保と「緑の地平線」の楠木繁夫で吹き込まれたものの、当初はまったく話題に上がらなかった。それが1年以上も経てから例の北九州炭坑地区の酒宴の席から流行りはじめたのだ。

 九州から大阪、東京へと飛び火し再発売を余儀なくされた。しかし困ったことが発生した。一緒に歌っていた楠木がコロムビアからテイチクに移籍した後だったのだ。

 会社はこの機を逃すまいと躍起に久保の相手を捜した。時期を逸すると尻すぼみになってしまうからだ。

 苦肉の策として場つなぎの形で出したのがこの歌。きみ栄は♪月が出た出た月が出た うちのお山の上に出た……だったのに対して♪三井炭坑の上に出た……の詩で出したとたん、これも売れ出した。一緒に歌ったのが加藤雅夫。「よし、久保と加藤で「トンコ」も行こう!」。たちまち50万枚を突破し、火付け役の「炭坑節」は、「トンコ節」の陰に隠れてしまう。

 加藤はその後、早くに逝き、久保も結婚、引退したが"なつメロブーム"で復活。しかし、甲状腺ガンの手術の際に声帯を誤って切られてしまい、声を失ってしまうのだ。

 シリコン注入など必死のリハビリの甲斐がありやっとの思いで舞台に立てるようになったのは、つい最近のこと。声も若いときと同じキーにまで戻った。

 先日、私は彼女の歌を古賀政男記念博物館のオープニングショーで聞いたが、確かに声が出ている。今年でデビュー50周年。記念の新曲も用意されているという。

 歴史ある鉱山閉幕の年、蔭に隠されたあの「炭坑節」を聞きたいという衝動にかられたのは私ひとりではなかったろう。(昭和25年発売)