合田道人

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「マロニエの木陰」に隠れた「マロニエの並木道」松島詩子

 昨年の11月19日、91歳で天寿を全うした松島詩子。現役歌手最高齢歌手として永きに渡り日本に洋風文化のかおりを届けてくれた。

 明治38年、山口県柳井市の出身だが、女学校の教員を経て昭和7年に出身地から芸名をつけた柳井はるみとして「ラッキーセブンの唄」でデビュー。この芸名であの童謡「付きの砂漠」などを歌ったが、やはりこの人の一曲となれば「マロニエの木陰」。

 発売は昭和12年の3月だが、発売当初全くこの曲は売れなかった。外国風な色合いがそうさせたのだ。この4ヶ月後、日中戦争が勃発するという背景から見てもうなずけるというもの。

 しかし名曲は必ず人の心にささる。まるで証明するかのように発売10年ほど経た戦後、忽然とこのタンゴは甦るのだ。それまで禁じられていたダンスの復興がこの曲に新たな鼓動を与えたとでもいおうか。洋風のかおりに日本人は飢えていたのだ。

 この大ヒットを皮切りに"和製シャンソン"という言葉を作り出しヒット曲を連発するが、おそらく最後のヒットは「喫茶店の片隅で」。これは昭和30年に出ているが、ヒットに結びつけたのは5年後のこと。戦前デビューの歌手は昭和30年を境に誰ひとりとして
ヒット作を生まなくなる。78回転のSPが45回転のEPになる頃には新曲も出さなくなる。

 であるから30年代のヒット曲を持つ戦前歌手は松島詩子と「島育ち」で奇跡的復帰を遂げた田端義夫だけということになる。数年して"なつメロブーム"到来。最初から松島はレギュラー出演の一角だったが「喫茶店~」は新しすぎて歌うとなればいつも「マロニエ~」。

 この"マロニエ"に隠れた"マロニエ"がある。昭和28年に大ヒットした「マロニエの並木路」である。

 実は"マロニエ"にはもう一作あり、「~並木路」の前々作が「マロニエの花咲く頃」。これは戦前、コロムビアで歌手として「ダイナ」や「小さな喫茶店」を歌った中野忠晴が、"松島の歌を作りたい"と作曲家としてキングレコードに移籍して作った自信作だったが、予想に反して売上枚数がのびなかった。シャンソン風のメロディーにパリ・モンマルトルの情景を歌ったがあまりにも詩の世界が日本の風土からかけ離れていたのだ。

 シャンソン風のメロは彼女にぴったりだ。思いきってパリではなく日本の風景を詩にしてみたらどうだろうか?

 でき上がった詩、♪黄昏の鐘の音が流れゆく銀座裏…。東京・銀座をテーマにシャンソン的要素。ここに和製シャンソンという言葉が誕生。発売同時に日本人の心をつかむ。

 筆者は、彼女の88才"米寿コンサート"の構成と司会をお手伝いさせて頂いたが、元気にピアノの弾き語りでこの"マロニエ"も歌ってくれた。上品でやさしくて人柄がそのままにじみ出るような歌唱だったことを今も忘れない。(昭和28年発売)