合田道人

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「月がとっても青いから」に隠れた「憧れは馬車に乗って」菅原都々子

 独特のバイブレーションを持ち味に昭和12年のデビュー以来、60年もの永きを唄ってきた。少女時代はもっぱら童謡だったが、昭和20年代から歌謡曲に転向。ひばりか都々子かといわれるほどの人気歌手に成長した。「江の島悲歌」「連絡船の歌」などヒットの数は多いがやはりこの人の一曲といえば「月がとっても青いから」ということになろう。

 この曲は昭和30年に発表され、当時としては珍しい百万枚突破の快挙をなしとげ、映画化までされた。その後も彼女のトレードマークとして歌番組で扱われ昭和40年代後半からは"ものまね"の常連曲として森昌子や榊原郁恵らのアイドルまでがあの声を真似して歌った。

 彼女はこう語る。『「江の島~」、「連絡船~」と暗いイメージのヒットが続きましたでしょ。ここらで明るい曲をということで父に作ってもらいましたの』父-作曲家・陸奥明。この曲のほかにも「お吉物語」や「雪の渡り鳥」といった作品を残している。

 この「月~」隠れた歌として、なつメロでここの所、とんとごぶさたなのが「憧れは馬車に乗って」である。

 「月~」同様、アップテンポで青春歌謡にふさわしい曲で都々子の出世を約束した大ヒット曲でもある。

 デビューから童謡を唄い、戦後すぐ田端義夫の「かえり船」の裏面「片割れ月」で"女バタヤン"と注目を浴びたもののやはりB面はB面。次いで「母恋星」など一連の母もの映画主題歌、「アリラン」「トラジ」といった韓国メロディーで気を吐いたあとに"憧れ"シリーズ第一弾、昭和25年の「憧れの住む町」で人気が急上昇する。

 この歌は第一回目の「紅白歌合戦」に選ばれ若手歌手の代表としてトップバッターを承った。長く歴史を誇る"紅白"スタートの歌声が彼女なのである。

 そして完全に不動の人気をおさめた曲こそがこれに継いだ"憧れ"シリーズ第二弾、この「憧れは馬車に乗って」だった。♪春の馬車がくる淡い夢をのせて・・・とはじまるこの曲は、戦争が終わって6年、やっと夢や希望という言葉が現実に思い起こさせてくれた時勢が重なって花ひらく。朝鮮動乱による特需景気のお陰でもあった。久保幸江の「トンコ節」、美空ひばり「あの丘越えて」、そしてこの「憧れ~」と陽気で明朗なメロディーが流れに流れる。

 『大変なヒットになってとてもうれしゅうございましたが「馬車~」の思い出っていうと作曲家の平川(浪竜。ほかに「岸壁の母」などを作曲)さんのことですわ。レコーディング日、私がスタジオに入っていたら警察の方がおいでになってね。実は平川さんが酔っ払っちゃってガケから落ちちゃったんですの。怪我は大したことなかったんですけどね。馬車に乗るはずがガケから落ちるんじゃ縁起悪いわって思いましたのよ。そうしたら先生が厄落としだとおっしゃって・・・。お陰様で大ヒットでしたわ』と笑った。(昭和26年3月発売)