合田道人

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「東京のバスガール」に隠れた「ロマンス・ガイド」初代コロムビア・ローズ

 発車、オーライ…明るく明るく走るのよ…初代のコロムビア・ローズがバスガイド姿でこの曲を歌い大ヒットさせたのが昭和32年。デビュー丸5年目の秋から冬にかけてのことだった。

 老舗のコロムビアレコードの期待を一身に受けた芸名を授かり、期待通り大輪の薔薇の花を咲かせる。彼女より年齢は下だが歌謡界では先輩にあたる美空ひばり、後続の島倉千代子と熾烈な人気投票トップ争いをいつも演じていた。

 彼女がなぜにこの名を与えられたかというと昭和25年に始まった"コロムビア全国歌謡コンクール"の第2回大会で優勝、会社一丸となってスターへ押し上げるためだったのだ。

 戦前、「愛染かつら」の霧島昇と結婚するまで松原操はミス・コロムビアと名のって活躍していたが、それにあやかり、この大型新人にコロムビア・ローズと命名。ミスコロ同様、眼にマスクをかけ神秘的な覆面歌手としてスタートさせた。

 デビュー曲「娘十九はまだ純情よ」で期待通りにいきなりスターダムにのし上がり「哀愁日記」「渡り鳥いつ帰る」「どうせひろった恋だもの」と順風満帆。それまで"女性の職業の歌は売れない"といわれていたジンクスを破りみごとに「東京のバスガール」とヒットは続く。

 しかし人気絶頂さ中の昭和36年、彼女は突然に引退を発表する。当時は肺病のための引退と報道もされたが、実のところは結婚準備のためだった。現在も仲のよいご夫婦である。

 翌年、「智恵子抄」の二代目にローズの名を譲ったが、"なつメロブーム"が到来し"初代"を名前の上につけて時折、テレビにも出るようになった。

 彼女の代表作「東京のバスガール」に隠れた歌に"バスガールシリーズ"第2弾でちょうど2年後の同じ日に発売された「ロマンス・ガイド」がある。

 これはもともと名古屋にある中日観光"鯱バス"のガイド用にとローズが歌い同社の準社歌として歌われていたもので実は、「~バスガール」よりも先に作られていた曲である。

 この鯱バスの制定歌が「東京のバスガール」の企画のヒントになったのだ。

 そして元歌を通り越して「~バスガール」は一世を風靡してゆく。

 バスガールのお次は「若い看護婦さん」「東京のエレベーター・ガール」と職業の歌を出したがこれらは全く売れず"やっぱりバスガイドでなくては"とそれまでの鯱バス用の歌詞の一部を変え一般用にこの元歌を再度発売。昭和34年の"紅白"にはバスガイド姿でこの曲は歌われた。この年は今の天皇、皇后御成婚の年で、こういったロマンス調が数多くもてはやされていた。