合田道人

連載記事

雑誌の連載記事のご紹介

第一回『船頭小唄』茨城県潮来市(2002年7月号より)

 今、祥伝社から『案外、知らずに歌ってた~童謡の謎』という本を出させていただいている。好評をいただき重版に次ぐ重版、6月に続編も出る。そんなこともあり、最近はこの本や童謡のことでテレビやラジオ、ステージに出る機会が大変多い。
 先日、JASRACの文化事業で"大正浪漫"を取り上げプロデュースさせてもらったが、大正時代はそれこそ童謡が発祥した時代だ。

 同時に浅草オペラによる訳詞をつけた外国曲、歌謡曲のスタート地点でもある。

 私はステージの中で拙著の一節を読み、「しゃぼん玉」と、「船頭小唄」"枯れすすき"を唄った。「しゃぼん玉」と「船頭小唄」は共に野口雨情の作品である。♪生まれてすぐにこわれて消えた…のは子供の命のことを唄っていた。まだ医学の発達が遅れていて、当時の子供はよく死んだ。なぜに不平等に人は死んでゆくのか?雨情は哀しみを詩にこめた。子供だけでなく大人も貧困にあえいでいた。♪おれは河原の枯れすすき おなじお前も枯れすすき…。この上ない悲哀を秘めたこの歌が発表されたのは「しゃぼん玉」と同じ大正11(1922)年のことだった。

 中山歌子や鳥取春陽らがレコードにしたが全く反応はなかった。まだレコードも、レコードをかける機械も普及していなかった。

 その頃は、レコードからヒットする歌はなく、それを演歌師とよばれる人たちが憶え、町辻などでヴァイオリンの伴奏に合わせて唄い巡る。こうやってヒット曲は誕生した。

 「船頭小唄」もいい例で、巷の人々はこれを"枯れすすき"と呼んで愛唱した。

 翌12(1923)年、これを主題歌に栗島すみ子の主演で同名の映画が封切られると空前の大ヒット。

 そんなさ中、悲しみ苦しみに追い打ちをかけるかのように、関東大震災が起こる。

 作家の幸田露伴は「このような退廃的な歌が流行るから大震災が起こったのだ」と発言して一層話題を集めた。雨情はやりきれなかった。

 第一次大戦が起き、スペイン風邪がもとで人がばたばたと死んでゆく。淋しい船頭ぐらしの潮来の女船頭・かよと勘一の話を重ね合わせて書いたこの歌には、そんな世の中から早く抜け出したいという裏返しの希望をこめたつもりである。なのにこの歌が震災を引き起こしたとは…。

 この歌の故郷・潮来は水郷、筑波国定公園内にある水戸黄門が名付け親といわれる水の都だ。

 その昔、この地の生活と船は切っても切り離せなかった。元は水上が生活の場所だった。

 水郷を一望する小高い丘の杉林に囲まれた稲荷山公園には、この歌碑が建ち、潮来大橋の側道橋では、人が通るとセンサーが反応して歌が聞こえてくる。その歌声は昭和32年に映画「雨情」の中で主演した森繁久彌。独特の森繁節でこの歌は再び大ヒット、大正の歌が見事に甦ったのである。

  ゆったりとした川の流れに合わせるかのように、森繁の声が朗々と響いていた。