合田道人

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第二回「五木の子守唄」熊本県五木村(2002年8月号より)

 森繁久彌が「船頭小唄」を映画の中で主題歌に取り上げリバイバルヒットさせたのは、昭和32(1957年)のことだ。しかしいくら売れても、当時の「紅白歌合戦」は"歌手の集まり"が鉄則であり、映画俳優に出場要請はしなかった。裕次郎や小林旭がその頃、出演していない理由でもある。それを解禁させたのが、NHKのアナウンサー出身だった森繁である。森繁は34年(59年)から、辞退を申し入れる前年の40年(65年)まで連続7年、「紅白」の一員として歌手として出場している。「ゴンドラの唄」を選んだり、「ソーラン節」や「かっぽれ」をフラメンコ調で披露したりと、まさに"紅白名物"だった。

 そんな中で36年(61年)に子守娘の扮装をして唄ったのが「五木の子守唄」である。

 熊本県五木村は、平氏残党の隠れ里としても有名な、今も自然が色濃く残る村。ここに"子守唄公園"がある。そこには子守唄の像などとともにこの歌の歌碑が建つ。題字を書いているのが森繁である。

 2月に発売した拙書『案外、知らずに歌ってた~童謡の謎』にも書かせてもらったが、「五木の子守唄」は普通の子守唄と趣きが異なる。普通のものは、親や大人などが子供をあやして寝かしつけるときに唄うものだ。♪ねんねんころりよ おころりよ・・・という「中国地方の子守唄」も、♪ねむれねむれ 母の胸に・・・あちらの「シューベルトの子守唄」だってそうだ。しかし「五木~」だけは違う。これは子守奉公の娘たちが、子供を背負いながら自らの境遇を哀れんで、自らの身の上を唄った子守唄なのである。 

 ♪おどま 盆ぎり 盆ぎり 盆から先ゃ おらんど…。"おどま"は"私"の意味。"盆ぎり"は"盆限り"。つまり「私のここでの奉公は次のお盆までだよ」。♪盆が早よ来りゃ 早よ戻る…。「時間が早く来て、お盆が来たら盆には年季明けで故郷に帰れるんだ」ということである。貧しさゆえ、平氏残党の末裔の家や山から降りて人吉や八代で奉公を続けなければいけない悲しい子供たちが、自らを慰めながら唄った詩の数は70種類にも上る。

 故郷に帰っても父や母に会えず、また次の奉公先に勤めに出なければいけない子もいた。どうせどこで死んでも墓もない。♪おどま打っ死んだば 道端ゃ埋けろ…。泣いてくれる人もいない。♪裏の松山 蝉が・・・鳴くだけである。花をあげてくれる人もいない…♪通る人ごて 花あぐる…。♪花は何の花 つんつん椿 水は天からもらい水…なのである。

 この哀しい子守唄には、今聴きなれたものと全く違う節がある。元唄とよばれるもので森繁の書いた碑の前に立つと、センサーで地元の人の声によるその節が流れる。ゆったりとした素朴なメロディーに詩がのり、感情移入がない分だけ想像力を湧き起こさせるのだ。  これを古関裕而が今の形に編曲、レコードで全国的に広めたのは芸者歌手の照菊であった。