合田道人

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第四回「南国土佐を後にして」高知県南国市(2002年10月号より)

 歴代、日本でいちばんレコードを売り上げた歌手は三橋美智也である。一億枚突破の偉業は、女王・美空ひばりですら達成できなかった数字だ。「おんな船頭唄」、「リンゴ村から」、「古城」などのほかに、三橋は100万枚クラスの民謡のヒット盤もたくさん生み出した。「相馬盆唄」、「北海盆唄」、先月ここで取り上げた「武田節」と枚拳にいとまがない。

 そんな時期に、三橋と同じレコード会社の江利チエミが、それまでの「テネシー・ワルツ」、「カモンナ・マイ・ハウス」など外国曲専門から昭和33年(58年)、俗曲の「さのさ」や「木遣くずし」、民謡などをラテンやジャズのリズムにのせて唄った。

 これはチエミが高倉健と結婚、引退のための記念アルバムだった。しかし今までの曲を凌ぐ大ヒットとなってしまい、引退棚上げ状態。

 同じ年、チエミと同じレコード会社で、やはり「ドミノ」、「ケ・セラセラ」、「タミー」とジャズやポピュラーでヒットを飛ばしていたペギー葉山にもひょんな出会いが訪れた。なんとこちらも民謡が縁となるのだ。

 NHKでは、高知放送局がテレビ開局記念のため人気番組『歌の広場』を高知市の会場から放送することになった。その中のゲストにペギー葉山がいたのだ。しかしこの番組で、『地元の歌を歌ってほしい』とディレクターから要求された。指定されたレコードを見て、ペギーは正直驚いた。SPレコードには、ちょうど「愛ちゃんはお嫁に」で一世風靡していた日本髪を結った鈴木三重子の顔。聴いてみると「よさこい節」が入った民謡演歌である。

 これは戦時中に、高知出身の鯨舞台の兵隊が「よさこいと兵隊」とか「南国土佐節」として唄っていたものである。即座にペギーは、ディレクターに向かって『これは唄えません』。しかしディレクターしつこく、司会の高橋圭三までが『ペギーなら唄える』。

 まあ、自分の本領ではないし一回きりだから歌詞さえ間違わなければと、意を決して唄うことにした。だが唄い始めると、会場の雰囲気がどこか違う。『やっぱりやめておけばよかった』…、そう思ったとたん、今まで聞いたこともない拍手と歓声。そして最後には、客席が一体となっての大合唱と化し彼女を困惑させたのである。放送終了後から、局に問合せとリクエスト殺到。

 戸惑いながら翌年発売した「南国土佐を後にして」のレコードは200万枚を突破、この年最大のヒットになり、高知を見渡せる五台山に歌碑が建ち、映画化までされたのである。この一曲でジャズ・シンガー、ペギーは国民的歌手に育ったのである。ひょんな出会いが、人の人生を変える。まさしくペギーと『南国土佐』の間柄である。

 来年で50回を迎える"よさこい祭"今夏もペギーは5時間にも及ぶコンテストの審査員を努めてきた。

 そして一緒に踊り、一緒に「南国土佐を後にして」を合唱した。地響きが起こるような歌の輪。あの日と同じ感動がペギーを包んだ。