合田道人

連載記事

雑誌の連載記事のご紹介

第五回「星の砂」沖縄県石垣市(2002年11月号より)

~悲しい星砂伝説を元に?!…

 ペギー葉山が日中戦争のさなかに高知の兵隊たちによって歌われていた「南国土佐を後にして」をリメイクして再ヒットさせたのは、昭和34(1959)年のことだった。

 翌年、"第2の南国土佐"を期して発売したのが、A面に沖縄の「ユンタ恋しや懐かしや」、B面が長崎の「島原地方の子守唄」を入れたレコードだった。だがB面ばかりが目立ってしまった。実は沖縄はまだ返還前、アメリカの領地だったため、受け入れられなかったのかもしれない。今年で沖縄が日本に返されてまだ30年なのだから仕方あるまい。

 現在"沖縄ソング"が大流行中だが、沖縄ソングが大きく注目され始めたのは沖縄海洋博覧会開催の昭和50(75)年に沖縄の俗謡「十九の春」を田端義夫、久保浩、三沢あけみらが歌ってからのこと。すぐに沖縄で活動していた沖縄独自のレコード会社、マルフクレコードの嘉納昌吉が「ハイサイおじさん」などで飛び出した。そして沖縄へ多くの観光客が集まるようになったのは、小柳ルミ子が52(77年)に「星の砂」を大ヒットさせてからのことである。

 この歌は最初、作詩作曲家以外の俳優やタレントがそれぞれ作品を作って発表するというテレビの特別番組の中で「八重山哀歌」をタイトルに由紀さおりが歌ってグランプリを受賞した歌。詩は俳優の関口宏で、作曲はヒデ&ロザンナの故・出門英だった。

 同じ番組に出ていた小柳がこの歌を聞き感動、大人の歌手への脱皮を計るためにと、由紀から譲り受けて大ヒットさせたものだった。

 今や"幸福を招く砂"として沖縄の人気NO.1みやげの星の砂だが、沖縄には悲しい星砂伝説が伝わる。9月末に私は『歌になった「にっぽん昔話・伝説」の謎』(幻冬舎)という今年になって3冊目の本を出版するが、その中にもこの「星の砂」を取り上げた。

 星砂伝説は、石垣島から船で10分ほどの竹富島に伝わる。竹富は珊瑚に囲まれ、道には白砂が敷き詰められている。真っ赤な亜熱帯の花に、人家の屋根には魔除けのシーサー(獅子)、島巡りの牛車、何を見てものんびりして、都会に疲れた心をそっと癒してくれる。

 伝説は昔、夫婦星が子供の星を生むため天の神にどこに生み落とせばいいかと尋ねる。神はあたたかく美しい竹富の海がいいと答えた。言いつけどおりに海に星の子を生んだが、海の神が勝手に生んだことに怒り、手下の大蛇に星の子供を食べるようにと命じたのだ。その死骸が星の砂になったと伝わるのである。

 しかしルミ子の歌の内容はちょっとかけ離れている。そこらを本では詳しく謎解きしているが、星の砂の正体の意外さには私も驚いたものだ。是非ご一読下されば……。