合田道人

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第六回「真白き富士の根」神奈川県湘南(2002年12月号より)

~悲しい事件を下敷きにして……

 先月はこの誌上で、発売中の私の拙著「歌になった[にっぽん昔話・伝説]の謎」(幻冬舎)から、小柳ルミ子の「星の砂」を通して星砂伝説を取り上げた。"星の砂"は砂ではなかった、という所で筆を止めた。本を購入いただいてその答えを探して下さった読者の方から、"星の砂の正体を知って驚きました"といったお葉書を頂戴した。"まだ読んでいない"とおっしゃる方々のために、ちょっと星砂の正体についてふれておこう。

 実は星の砂は、砂でもなければ土でも石でもない。なんとバキュロジプシナとよばれるアメーバーに近い有孔虫、小さな原生物の死骸だったのだ。まさにショッキングな事実。 

 ショッキングといえば、この歌も悲しいショッキングな事件が歌の下敷きになっている。10月20日、今度は「こんなに深い意味だった 童謡の謎3」(祥伝社)を上梓するが、その中に明治時代は唱歌、つまり子供の歌として広がり、大正期に演歌師たちが歌い、昭和になって映画主題歌として愛唱歌として松原操や菊池章子、森繁久彌、そしてこの本に書いた歌を"読みながら聴いてもらおう"という趣旨で作られたCD「童謡のなぞとき 3」では、私・合田道人もレコーディングさせてもらっている。

 この歌の事件。それは、明治43(1910)年1月23日、神奈川県湘南の真冬の海で起こった。12人の開成中学生たちが、ボートで海に出たまま転覆。♪帰らぬ十二の 雄々しきみたま……となってしまったのである。

 七里ヶ浜を望む鎌倉海浜公園には、助けを乞うように海の中から手を上げて苦しんでいる兄と、兄に必死につかまろうとする弟の銅像が建っている。

 この12人のボートの中には、3人の兄弟が乗り込んでいた。弟の武三だけは、まだ小学生だった。冷たい海に投げ出され必死に兄は弟をかばったのだろう。兄の言いつけを守って、弟は兄にしがみついたのである。翌24日、ひとつの遺体が海底に揺らいでいた。しかし、捜索船が引き揚げた遺体はひとりではなかったのである。

 弟が兄の首にしっかりしがみつき、抱き合ったままのふたりの亡きがらだったのである。
兄の指は硬直したままで、いくら弟から引き離そうとしても離れなかった。
この12人の少年たちを悼んで、2月6日に中学校の校庭で執り行われた追悼大法会(ついとうだいほうえ)には5000人もの会葬者がいた。読経の後、鎌倉女学校の生徒70人が「哀歌」という題名でこの歌を披露した。この曲は、明治唱歌「夢の外(ほか)」として子供たちに教えられていたがこの際に鎌倉女学校の教師、三角錫子(みすみすずこ)がこの事件の悲しみをこらえ、詩を代えて歌わせたのである。校庭は静まり、ただただすすり泣きが聞こえてくるばかりだったと伝わる。