合田道人

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第十四回「能登はいらんかいね」石川県・能登(2003年8月号より)

 先月号で取り上げた吉永小百合はどんなに人々から要望されても、ここ数年ナマで歌声を披露しない人として有名である。しかし今月のこの人、病魔を克服し、たくさんのファンの要望に応えて今年から晴れて歌手活動を開始させている。そう、坂本冬美である。

 冬美は、昭和42(67)年、和歌山県生まれ。高校を卒業後、地元の梅干し工場で働いていたが、素人参加の歌番組、NHK[勝ち抜き歌謡天国]の和歌山大会に出場し、名人に選ばれた。

 そのときの審査が、後に恩師となる作曲家、故・猪俣公章だった。冬美はスカウトされ上京、猪俣家に住み込んで、炊事、洗濯、掃除、車の運転までこなした。

 「あばれ太鼓」で翌年、昭和62(1987)年にデビュー、その年のレコード大賞新人賞をはじめ、数々の新人賞を受賞。その弾みで、その後、「祝い酒」「火の国の女」「夜桜お七」など毎年ヒット曲を生産、新時代の「演歌の女王」に君臨した。座長公演も史上最年少記録を作るなどまさに順風満帆。休む間もなく、ただ走り続けた15年だった。しかし、昨年その過労が蓄積されたのか、慢性すい炎が悪化、一時歌手生活を休業することになったのだ。

 そんな新時代の「演歌の女王」のイメージを決定付けたのは、平成2(90)年に名誉の日本レコード大賞・美空ひばり賞を受賞したことにある。そのときの対象曲が、「能登はいらんかいね」。

 能登は石川県北部、日本海に突き出た丘陵性の半島。農林業、水産が盛んで美しい自然や史跡に恵まれている場所だ。キリコ、やっちゃ、アエノコ、御神乗太鼓といった奇祭の宝庫としても知られている。それと同時に石川さゆりの「能登半島」、美空ひばり「太鼓」、大川栄策「能登の恋唄」などなど演歌の舞台としても多く取り上げられている。

 冬美の「能登はいらんかいね」は、故郷の能登に花嫁を連れて帰りたいという願いをこめた、若い男のふるさと讃歌といえよう。♪能登はいらんかいねー ふるさと能登はョー……と口ずさみながら見そめた女性を口説くのである。自分で「好きだ」「結婚してくれ」とはっきりと言えず、照れ隠しのように、♪能登はいらんかいねー……と歌うのである。

 そこには純朴で心やさしい能登の青年像が描かれているのだ。この歌の2番から3番への間奏には、名物・御神乗太鼓の乱れ打ちが入って、青年の燃え上がる心の内、勇壮さをかもし出し、一層雰囲気を盛り上げている。

 この御神乗太鼓は鬼の面をつけた男が太鼓を打つ能登・輪島の郷土芸能のひとつだ。その鬼面をつける由来は、昔、上杉謙信の軍勢がこの地に迫ってきたとき、長老のひとりの発案で顔に鬼や亡霊のお面、髪には海の藻をつけ敵陣を驚かせ逆襲した、というところからはじまっているそうだ。